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自分の”使命”と向き合える場所。知覧の合宿で本当の生きる道を考えろ!

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この記事の所要時間: 1141

キミは知覧という町を知っているだろうか?
知らなくてもムリはない。
実際私もつい最近まで知らなかった。

しかし、日本の”特攻隊”という存在は知っていると思う。

 

知覧は特攻隊の聖地と呼ばれる場所である。
何故かと言えば特攻隊を見続け、後世に伝え続けた鳥濱トメさんの富屋食堂があり、貴重な特攻隊員の遺書や遺品が残っているから。

私は縁あって合宿という形で今回初めて訪れたが、DSRにも登場していただいた井上敬一氏のおかげで、本当に得がたい経験ができた。

 

キミがもし今、ビジネスやプライベートへのモチベーションや、意味を見失いかけているのであれば、ぜひとも行ってみることをオススメしたい。

今回は「自分の”使命”と向き合える場所。知覧の合宿で本当の生きる道を考えろ!」と題し、知覧の合宿で知ることができる特攻隊の真実や、得られるものなどについてまとめていこうと思う。

知覧町(ちらんちょう)と特攻隊

まずはそもそも知覧町とはどこにあるのか?どんな町なのかについて。

知覧町は鹿児島県の中にある町である。
未だに武家屋敷が残っており、「薩摩の小京都」と呼ばれる、歴史や趣が感じられる場所だ。

 

そんな知覧に飛行場が作られたのは、1941年のこと。
そしてその知覧飛行場は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に本土最南端の特攻隊こと特別攻撃隊の出撃地となった。

 

”特攻の母”と呼ばれた鳥濱トメさん

知覧の知名度の高さには、鳥濱トメさんという存在が影響している。

富屋食堂という軍指定の食堂を営んでいたトメさんは、特攻隊員から母親のように慕われていた。
だからこそ歴史では語られない、抹殺されてしまった本当の特攻隊を、トメさんだけは知っていた。

戦時中はそういう発言をするだけで殺される可能性もあったが、終戦後あたりから、トメさんは特攻隊の真実を語り継ぐ活動を始めることに。

 

その輪は知覧全体に広がっていき、日本全体にも広く知られ始め、今では月に10万人ほどが訪れる観光地になったそうだ。
そしてトメさんの意志はお孫さんにしっかりと引き継がれ、特攻隊の真実を今に語り継いでいる。

そんなトメさんの話を中心に作られた、「俺は、キミのためにこそ死ににいく」という映画がある。

 

私は先日鑑賞したが、知覧で見たこと、聞いたことに忠実に作られていた。
それもそのはず。トメさんのお孫さんである、鳥濱明久さんも制作にあたって色々と意見を言ったそうだ。

 

井上敬一氏が主催する、「知覧立志合宿」

今回私が参加したのは、井上敬一と行く『知覧立志合宿』

過去10回以上知覧を訪れている彼は、このたび知覧の観光親善大使に任命された。
そんな彼が企画するツアーだからこそ、とんでもなく濃い内容になっている。

 

詳しくはこちらを見てもらえればと思うが、内容をかいつまむと、

・鳥濱トメさんのお孫さんである明久さんの講話
・明久さん先導による、一般のツアーでは訪れない特攻隊ゆかりの地観光
・同じく鳥濱トメさんのお孫さんが女将を務める富屋旅館に宿泊
・特攻隊員が実際に食事をした場所で、同じ献立をいただく
・井上敬一氏による、自分との向き合い方講座

などなど。

 

人生に大きな影響を与える30時間を過ごすことができた。

 

意外と幅広い、特攻隊(とっこうたい)の形

日本の教育を受けているなら、特攻隊の存在自体知らないということは無いと思う。
キミは特攻隊にどんなイメージを抱いているだろうか?

 

「片道の燃料だけで出陣」
「飛行機で敵陣に突っ込む」
「若い人ばかりが駆り出された」
「皆がお国のため、喜んで死んでいった」
「ほとんどが無駄死に。尊い犠牲になるだけだった」

 

キミはもしかしたら違うかもしれないが、おそらく以前の私や、世間一般のイメージはこんなところじゃないだろうか。
しかしこれらは、半分ぐらいは間違っている。

 

片道の燃料なんかでは沖縄までたどり着けない

まずよく言われるのは「片道の燃料しか積まれていなかった」という話。
これに関しては、真っ赤なウソのようだ。というか、日本政府の情報操作によるもの。

少なくとも知覧から沖縄への攻撃の時には、偏西風に乗って600km以上の距離を飛行する必要がある。

 

天候や気象条件によっても変わってくるので、片道分程度の燃料では、どう頑張っても沖縄までたどり着けない。
というかそれ以前に、もっともっと単純な話がある。

こう言うのも何だが、敵艦に直接ぶつかる場合に飛行機の燃料がギリギリなのと、たくさん残っているのとでは、どちらのほうが相手の被害を拡大できるだろうか。

当然、燃料がたくさん残っているほうだろう。燃料が引火すれば、爆発の規模や燃え広がるスピードは早くなる。

 

一度出陣したら二度と帰れないように語られるが、天候不良で引き返したり、消息不明になった特攻隊員も存在はする。
もちろん逃げ出した後にどこかで見つかったり、引き返したりしてもまた出撃させられたかもしれないが、まったく選択肢が無かったわけではないようである。

 

飛行機で特攻できたのは、エリートの隊員だった

私自身、特攻隊というと飛行機で突っ込むイメージだった。

だが実際に特攻できたのは選ばれたメンバーのみ。
特攻に使われたのはどちらかというと性能の落ちる飛行機だったが、それであっても量産できるわけではないので、おのずと人数は絞られる。

 

そして他のメンバーがどういうふうに特攻していったのかと言うと、

・人間魚雷という言葉があるように魚雷にくくられて突っ込んだ
・爆弾のついた槍を持って、水中から敵船に突っ込んだ
・そのまま地上で戦った

などである。

 

しかし、一番戦果を上げたのは飛行機での特攻。
それ以外は残念ながら、そこまで目覚ましい戦果は残ってはいない。

 

20代後半や30代の特攻隊員もいた

特攻隊は、大体17歳から23歳ぐらいの隊員がメイン。
しかし、あまり知られていないかもしれないが、30歳を超えていたり、29歳で妻子持ち、元々は特攻隊の教官だったという隊員もいた。

特に29歳で元教官だった藤田一中尉のお話は、身につまされる。
彼は特攻隊の教官だったころ、生徒たちに「俺も後から必ず行く!」とずっと言い続けていた。

 

実際何度も特攻隊に志願していたが、教官の立場のため、長らく受理されることはなかった。
妻子持ちで教官。本来行く理由はないが、彼の意志は固い。

それをよく理解していた奥様は、「自分たちが居ると、心残りになる」と考え、小さな子供2人と一緒に川に身を投げて自殺した。

 

そして藤井中尉は3人の葬式の場で自分の体に傷をつけ、血文字で特攻隊への志願書を作成。
それは受理され、藤井中尉は特攻隊として出撃できることとなった。

YouTubeでも動画で紹介されている。

 

唯一の2人乗り飛行機が起こした奇跡

藤井中尉については、もう一つ逸話がある。
実は長らく特攻の志願が受理されなかったのは、彼は教官ではあったが指導するのは主に精神面であり、「飛行機の操縦ができなかった」という理由もある。

なので操縦できる生徒と一緒に、2人乗りの飛行機に乗り込んでの出撃となった。

 

これはあくまでも後日談だが、特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんの孫である鳥濱明久さんのお話。
ある日彼のもとに、年配のアメリカ兵が2人やってきたそうだ。

そのアメリカ兵はなんと、藤井中尉の特攻の日に船に乗っていた。
物凄い勢いで迫る日本の飛行機を、どうにか船から迎撃しようとしたが落とせない。

諦めかけたころにアメリカの飛行機の弾が当たり、日本の飛行機は桜のようにはらはらと海へと落ちていった。

 

「やった!」と喜びかけたその刹那、海面スレスレで日本の飛行機は急浮上し、アメリカの船に激突。
船には200名ほど乗っていたそうだが、生き残ったのは明久さんのもとを訪れたその2人だけ。

年配のアメリカ兵はその飛行機を鮮明に覚えており、それが2人乗りの飛行機だったこともハッキリと記憶していた。

この時の出撃で2人乗りの飛行機は、藤井中尉の乗り込んだ飛行機のみである。

 

愛する人のため、日本の未来のために特攻した

平和記念館に飾られた特攻隊員の写真を見ると皆笑顔。
そして遺書にはほとんどがお国のため、天皇陛下のために特攻したと残されている。

しかし、それらの写真や遺書には全て国の検閲が通っている。
それはどういうことか?
「そういう手紙しか書くことができなかった」ということである。

 

20代にも満たない若者。やりたいことはいくらでもある。
まだ幼くて母親にも甘えたいし、兄弟や友人とももっと遊びたい。
しかしそれを遺書として残すことは許されなかった。

よく考えればわかる話だが、日本はうまく情報を操作していた。

 

特攻隊によって本土への攻撃を回避できた

特攻隊は無駄だった。
多くの若者が犠牲になってしまった。
特攻隊の攻撃に効果はなかった。

そんなことがよく言われるが、実際は全くそんなことはない。

 

アメリカは特攻隊に脅威を覚えていた。
実際アメリカでは日本本土への上陸の日程まで決まっていたらしいが、それを覆したのは間違いなく特攻隊である。

詳しい撃沈の数やアメリカの死者などには諸説あるが、とんでもない戦果をあげていることは間違いない。
あえて具体的な数字はここには書かないが、興味があればキミに調べてみて欲しい。
今ならググれば、かなり詳しい数字を知れるはずだ。

 

選べることを幸せだと思うべき

ある人は「特攻隊はやることが明確でうらやましい」というようなことを言っていた。

その気持ちはわからなくもない。
将来に抱える不安や、自分が何をすればいいのか、何を目指すべきなのか、それを決めることはすごく難しいし、それを考えるのは本当に大変な作業である。

 

そういう意味で、「大切な人を守るために死ぬ」「日本の明日のために死ぬ」など、目的が明確であるという意味では楽だとは思う。

だからといって、私がその選択肢を選びたいとは思わないが。。。

 

そして現代は本当に無限の選択肢があり、自由に選ぶ権利があるが、キミにはそれを重荷だと思わないでほしい。

その選択の権利は、今の日本だからこそできること。
選べることは、選べないことよりも数段幸せなことである。

 

知覧の合宿で特攻隊に触れて学ぶのは、”死に方”ではない

特攻隊がいなければ日本本土が攻められていたのは、先ほど書いた通り。
本土が攻められていたら、日本は一体どうなっていただろうか?

もしかすると、日本と言う名前すらもなかったかもしれないし、日本語は存在していないかもしれない。
もっと言えば私もキミもこの世に存在しなかったかもしれない。

少なくとも今の日本とまったく同じ形、状況ではないことは間違いない。

 

ただ誤解しないでほしいのは、知覧の合宿で学ぶべきなのは”死に方”ではない。

”生き方”である。

死生観を学び、特攻隊がやってきてくれたことを知り、命を授けられた私たちはどう生きていくか。

 

そしてその命を未来にどうつなげていくか。それを考える場所である。

 

自分自身と真正面から向き合い、”使命”を見つける知覧合宿

この合宿で私が1番印象に残ったのは、使命という言葉。
もちろんこの言葉を知らなかったわけではないし、使ったことがないわけでもないが、改めて考えると本当にすごい言葉である。

 

使う命
または、
命を使う
私たちは、命を使わなければならない。

 

誰かの名言で「息をしていることが生きてることではない」というものがあるが、まさしくその通りだと思う。
何もせずに生きていればいいわけではなく、「命を使う」必要がある。
そしてその命を使うべき道を見つけるべきである。

それを気づかせてくれる場所、強く感じさせてくれる場所、それが知覧であり、知覧の合宿でそれを見つけられるはず。

 

まとめ

いかがだっただろうか?

知覧のこと、合宿のことをまとめてみたが、まだまだその魅力や威力を伝えきれていないと思う。

 

そして「使命」については誰かから言われるものではなく、キミ自身が見つけるものである。

 

「そういうものが見つからない」
「どう向き合うべきかわからない」
「そんなことを考えること自体めんどくさい」

君がもしそう思っているなら、ぜひとも知覧に行ってみて欲しい。
月並みだが、魂を揺さぶられるはずだ。

 

そして自分が生きていく意味、使命を強く考えるようになるはずである。

井上敬一と行く『知覧立志合宿』

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